時代を走り続けるアメリカのハイウェイ「ルート66」郷愁の思いと歴史を旅する

時代を走り続けるアメリカのハイウェイ「ルート66」郷愁の思いと歴史を旅する
6月 2, 2017 山久瀬洋二

時代を走り続けるアメリカのハイウェイ「ルート66」郷愁の思いと歴史を旅する

みなさんはルート66をご存知でしょうか?
アメリカ合衆国を横断する長距離のこの一本道は「マザーズロード」とも呼ばれ、開通以来、数多くの小説やドラマ、歌の題材にもなった魅力あるハイウェイロードです。

日本では、1960年に放映されたアメリカのドラマ「ルート66」が大人気となりました。

このドラマの主題歌はルート66が通る街の名前を軽快なメロディーに乗せて歌っています。
覚えたら結構かっこいいかもしれません。

海外ドラマ

“If you ever plan to motor west, Travel my way, take the highway that’s best.
Get your kicks on Route sixty-six.”
西へ旅するなら、ハイウエイを楽しもう。そう、ルート66で出発だ
-ルート66の歌詞の冒頭より
 

60’s のクールなジャズビートがカリフォルニアの、乾いた夏の日差しが、梅雨を吹き飛ばしてくれるようです。

申し遅れましたが、実は私は今、ルート66を走っています。

世界の動きに目を向けていると、つい先ばかり見てしまいます。
少しの間、駆け抜けてきた道を振り返るドライブにお付き合いください。


ルート66を走りながら、アメリカの歴史に思いを馳せる


英語_ドラマ_ルート66

もう30年近くも前のこと、アメリカに住んでいた私は、ある雑誌の企画でアメリカ南西部を何度も取材したことがありました。
その時に立ち寄ったのが、テキサス州からニューメキシコ州にかけて点在する町々でした。
そこには、カリフォルニアに向かう人々が通る国道66号線(ルート66)が通っていたのです。

今回、週末を利用して、久し振りにこの地域に足を伸ばしてみると、30年前と全く変わらない、古きアメリカの風景があたかもタイムスリップしたかのように、昔のままの姿で私を迎えてくれたのです。

英語_ドラマ_ルート66

1848年以前、カリフォルニアはメキシコに帰属していました。
その年にアメリカはメキシコと条約を結び、正式にカリフォルニアをアメリカ合衆国に編入します。

そしてその翌年、そこで金鉱が見つかったことで、いわゆるゴールドラッシュがおこったのです。
その結果、東海岸に移住してきた移民や、すでにアメリカで生活を築いていた人々が大挙してカリフォルニアに移住します。
こうしてカリフォルニアはみるみるアメリカ化されていったのです。

20世紀の前半、カリフォルニアは豊富な資源と労働力を有する州として知られるようになりました。とくに自動車が発明され、移動の手段として使用されるようになると、カリフォルニアへの道路の整備が進められます。1926年にシカゴとロサンゼルスとを結ぶハイウエイとして開通したのが国道66号線、いわゆるルート66だったのです。

途中、世界恐慌に見舞われた時期もあったものの、ルート66はカリフォルニアへ豊かさを求めて移動する人たちの通る象徴的なハイウエイとして脚光を浴びました。1946年に作曲されたルート66が、ジャズのスタンダードナンバーとして流行し、ナット・キング・コールなどが歌ったことが、このハイウエイをさらに有名にします。今は既に高速道路にとって代わられ、ルート66自体はなくなりました。しかし、その後ルート66は古き良き時代のアメリカを象徴するハイウエイとして郷愁をもって語り継がれるようになったのです。

特にテキサス州アマリロから、ニューメキシコ州ギャロップに至る地域には、ルート66の名残が色濃く、当時を偲ばせるレストランや使われなくなったガソリンソタンド、そして看板などがそのままになっています。それらの多くはゴーストタウンさながらの街角に打ち捨てられたままになっていて、さらに懐かしさを募らせるのです。

ルート66の全盛期、アメリカの大都市ではアールデコの装飾を施したビルやインテリアが流行します。工業化により、規格的ではあってもその中で最大限洗練されたものをと考案されたのが、古いヨーロッパ調のデザインを現代風にアレンジしたアールデコの作品の数々です。ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルやクライスラー・ビルなど、当時を代表する建築物には全てアールデコの要素が取り入れられました。
そして、都会から遠く離れたアメリカ南西部の辺境でも、ルート66沿いの町々にはアールデコ風のガソリンスタンドや、ネオンサインが施された看板などが並び、20世紀の宿場町の賑わいを呈したのです。

ポップ・カルチャーの中の「ルート66」
国道66号線は廃線となったが、「ルート66」は企業の名前として、あるいは文学、音楽、テレビドラマなどでその名が生き続けている。
ガソリンスタンドのフィリップス66(Phillips 66)はその一例と言える。オクラホマ州内での国道66号線はほぼ平坦な直線道路だったため、1920年代後半にタルサの石油会社がガソリンの新製品のテストに使用した。テスト中、検査員の1人は速度計を見て「車は時速66マイル(約106km)で走っているようだ」と言った。このときの車の速度と国道の番号をかけて新製品は「フィリップス66」と名付けられた。フィリップス66は後にコノコフィリップス所有のブランドとなったが2012年に精製販売部門がフィリップス66として独立し、現在においても1企業として存在する。
-Wikipediaより引用

「ルート66」の歌にも出てくるテキサス州アマリロに立ち寄りました。そこは、360度フラットな大平原の真ん中の街です。

ハイウエイに面したステーキハウスの入り口には、そんな看板が今でも高々と客を呼んでいます。中に入れば、西部劇の盛り場そのもののレイアウトに驚かされます。

今では観光客こそが収入源となったこのステーキハウス。
もしこれが西部劇の時代であれば、とても怖くて入ることなどできなかったかもしれません。

今、アメリカはインターステイトInterstateと呼ばれる高速道路が全米を網羅しています。
廃路となったルート66は、途中からところどころインターステイト40号線と並走し、今でも昔日の繁栄を懐かしむ町々をつないでいます。
そしてこのインターステイル40号線やその南をはしる何本かのハイウエイなどには、メキシコからの不法移民を取り締まる検問所が設けられています。一見料金所のように見えるゲートには、移民局の係官が行き来する車をチェックしているのです。

そんなインターステイト40号線上にあるアマリロから西へ300マイルも行けば、風景は一変し、奇岩やメサと呼ばれる岩の台地、そしてグランド・キャニオンに代表される渓谷や砂漠が広がるサウスウエストに至ります。そこからカリフォルにかけては、メキシコの文化が豊かな自然の中に色濃く残る地域です。
アマリロからロサンゼルスまでは、そんなサウスウエストを超えて、1,072マイルの旅となります。

英語圏の文化に親しむ機会は、日本にいてはなかなかないかもしれません。
もうすぐ夏がやってきます。

もし少し長い休みが取れたら、アメリカの古き良き時代へタイムスリップしに行くことをおすすめします。
それでは、また現代の日本でお会いしましょう。






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